白峯神宮

1868年 孝明(こうめい)天皇創建
 

祭神 崇徳(すとく)天皇、淳仁(じゅんにん)天皇

 

 この宮の祭神は、『百人一首』にも採られている、
   瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
            われても末に あはんとぞ思ふ
の作者としても有名な崇徳院。私もこの情熱的な和歌が好きだ。
 こんな情熱的な歌を詠む歌人でもあったが、その一方で、『保元物語』などにも詳しいが、保元の乱(1156年)で敗れて讃岐(香川)へ配流となり、「魔縁となって遺恨を散ぜん」と、生きながら天狗となり、日本最大の怨霊となられる。この宮は、その怨霊を鎮めるために建立された。
 といっても、創建は幕末動乱期。今、崇徳院の御霊に目覚められては困るということで、建立されたのだ。それほどまでに崇徳院の怨霊は恐れられていた。また、第二次世界大戦直前の1940年、この神社に神宮号が宣下されている。もっと上の位をさしあげるので、御鎮まりください…ということだろう。800年を経てもなお恐れられていたのだ。
 境内に入ってすぐ右手には、飛鳥井水のお手水舎と立派なオガタマの木がある。このオガタマの木は、樹齢数百年で、京都市指定天然記念物に指定されている。さすがに凄い存在感。
 こぢんまりとした境内には、左近の桜、右近の橘が植えられていて、お社もひっそりと美しい。この場所は、蹴鞠と和歌の家元であった飛鳥井家の邸跡にあたり、鞠場も設けられている。蹴鞠がサッカーにも通じるということで、サッカーをする人々の信仰も篤く、球技上達にも御利益があるらしい。スポーツ(主にサッカー)の守護神である「精大明神」を祀ったお社や、古武道(主に弓矢)の神を祀った伴緒社もある。社殿には、サッカーボールなどが奉納されていた。

 崇徳様好きはマストなお宮である。